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東山歯科医院物語

東山歯科医院物語 序

愛媛県八幡浜市に生まれ育ちました。
『どこのことか???』とおっしゃる方がほとんどだと思います。坊ちゃんで有名な松山から今ならJRで一時間の小さな漁村、段々畑のみかん畑の町です。

松本 明士(あきお)
父 忠雄 母 淑子 長女 和子 次女 妙子 三女 令子 そして 末っ子長男が私 明士。

姉たちの名前に比べても なんと 読みにくい名前を与えてもらったことか。

父は私が5歳のとき心筋梗塞で他界し女4人に囲まれた環境に育ちました。

小学校は、八幡浜市立白浜小学校、中学校は八幡市立愛宕中学校、高等学校は愛媛県立八幡浜高等学校。典型的な田舎の子です。その中でも小学校の頃も、運動はダメ・勉強はダメ、劣等性の典型で、母は将来を心配すること大だったようです。
そんな私を見て母はピアノを習わせたり、家庭教師をつけてくれたり、ソロバンを習わせたり、習字を習ったり、柔道を習わせたりと、出来の悪い息子に四苦八苦していました。

相も変らずマイペースでのらりくらりと小学校・中学校・高校を過ごしていました。
その結果高校卒業後には、進学できる学校がない事になってしまい、東京へ。
予備校に通うため上京。
という悲惨な18歳になってしまいました。

予備校の寮から、御茶ノ水にまで通う通学の辛さ。あの時代の国鉄の順法闘争というノロノロ運転 ストライキ。今まで歩いて通学しか経験したことのない私にはカルチャーショックのような毎日でした。

早く田舎に帰りたくて、母のことが恋しくて、たまらない毎日だったように覚えています。

浪人生活中に親知らずが痛くなり、何を間違ったのか東京大学付属病院に入院しての抜歯。入院中に読んだ山崎豊子さんの『白い巨塔』。それ以来、自分はもう財前教授になるのは自分だ!と超単純脳細胞の私は、難波(?)大学一本になってしまい浪人生活を一年で止めるに止められず、御茶ノ水の生活がまだ続いてしまいました。

丸善・キッチンジロー・味一・デスクユニオン・キッチンカロリー・レモン・元禄寿司。私の東京での生活の多くの部分を占める物が御茶ノ水にあります。(このお店すぐにわかる方いらっしゃれば、昔話にお付き合いしてもらいたいと思います)
鈴木長十先生、伊藤和夫先生、藤田先生、中田先生、野沢先生、根岸先生、坂間先生、三国先生、なんだか名前をまだまだ覚えている。そんな楽しい浪人生活になっていました。浪人した結果はどうだったかは推測していただきたいのですが、大学生活は何故だか同じ御茶ノ水になってしまいました。
本郷に住み、市川の教養部までの通学が始まっていました。これから6年間の大学生活の始まりですが、なんとも喜びというよりもう受験勉強をしなくてもよいというほっとした大学生活の始まりでした。

大学に入ると、なんと泳げない者は体育の単位を与えないという体育の教授がいて、ビックリの私です。私はなんと泳げません。それで入ったのが水泳部というまったくいい加減なクラブ選択になってしまいました。

水泳部に入ってからも、やっぱり泳げない私は泳げずプールで溺れている変な人を演じていました。今から思うと私の選択は、いつも良い加減でした。

そんな私も、なんとか留年することもなく、大学6年生の時には国家試験に向け国家試験対策委員ということで試験対策を書いたことを覚えております。夏休み中は小笠原に行き 昼間はダイビング、夜は酒盛り(私はお酒を飲めなくて 毎晩一緒に騒いでいただけですが。もちろん割り勘でした)(写真の青のTシャツが私です)
一体、いつ試験対策をかいたのか。今ではもう記憶にありません。それでも何とか大学を卒業でき、国家試験にも合格して、第三歯科補綴学教室に入局しました。ここは入れ歯を研究する教室です。
学生実習の時に勉強した入れ歯が何のことかまったくわからず、なんとなく終ってしまった講義ですが何故だか私のような落ちこぼれが入局して、またまた私の大嫌いなお勉強の始まりです。徹夜して作った入れ歯。毎晩遅くまで時間を費やしていた毎日。そんな年月が流れていました。この頃でしょうか、家内との出会いがあり、紆余曲折の末、めでたく結婚となりました。

東山歯科医院物語 本題

平成元年10月1日 東山歯科医院のオープンの日です。
暇な毎日。とんでもなく暇な毎日です。待合室から外を見ると人が歩いていない!誰もいない!そんな中で、お年寄りの方が一人、若者が一人、主婦の方が一人・・・。皆、皆、神様のようにありがたく、嬉しく、家族のように大切に、大切に治療をさせていただいたことを、今でも昨日のように覚えております。

たくさんの皆さんとの出会いがあり、その中で御叱り・励まし・反省・慰め。皆さんの暖かな心遣いを感じました。
東山歯科医院では今では当たり前になっていますが、皆様の歯を削るドリルを、刃はもちろん、機械の部分まで滅菌して、患者さんごとに交換するようになったのは、開業当初の患者:小林様のアドバイスのおかげです。
医療機関で歯の切削器具を使いまわしにしているなんて、皆様サイドからすれば信じられないことが、現在も未だに当然のように行われている現状を不思議に言われたこと未だに感謝しております。まるでレストランで、お皿とお箸を洗いもしないで、次のお客様に料理を盛ってお出ししているそんな感覚です。
このアドバイスのおかげで、歯を削る機械を患者様ごとに変えたくて堪らなくなった私は、ただお金がまったくなく妻の貯金を使い、妻に借金をして数百万円を使い、タービンエンジン(歯を削る機械)を何十本も購入して妻に呆れ返られたことを覚えています。

毎日の診療のなかでいろいろと思うこともあり、様々な講習会に出席し、いろいろな歯科医師との出会いがあり、いろいろな考え方、生き方を勉強させていただきました。保母先生、中村先生、藤本先生、熊谷先生、小野先生、時の流れを感じさせられる、歯科会の著名人の先生方です。諸先生方達のお話をうかがい、様々な影響を受け、それを取り込み自分なりに理解実践をし、現実的に患者利益に適うような治療を実践して行くそんな事を自分なりに考えていました。

試行錯誤の毎日を過ごしております。また 開業して一人で孤軍奮闘している時、大学で研究に従事している同級生達の暖かい援助。本当に大勢の同級生の援助があり、今の自分があること感謝に耐えません。
また、諸先輩方の暖かい言葉。鈴木先生、尾関先生、小林先生。皆きつい一言で励ましてくださいました。
病気で入院した時には、代診の歯科医師を自分のことのように心配してくださったり、母の逝去の時にも温かい言葉をかけていただき、忘れられない暖かな一言・配慮。私には過ぎた方たちばかりで、いつも皆さんの力を借りてばかりの私です。こんな私ですから優秀な後輩たちにも、なんとたすけられたことでしょうか。齋藤先生、松永先生、尾形先生、五十川先生、種田先生、和田森先生、吉岡先生。皆私をサポートしてくださり、私の苦手を補ってくださり、本当に私は幸せ者です。ありがとうございます。当院の患者様にも、この名前を覚えてくださっている方がいらっしゃると嬉しいかぎりです。

最後に当院のスタッフの皆です。宇田、柴、山口、松木、齋藤、笛木、小沼。皆で歯科医院を盛り上げてくれました。これからもよろしくお願いします。退職後も元スタッフの赤ちゃんの写真を正月に見ることができ、皆が幸せになってゆくことを感じることができます。
こんなに大勢の人たちはもちろん、心優しい東山歯科医院の患者様に支えられ東山歯科医院は東山NO.1をそして、患者様が安心、満足を得られるよう、改善に努めてゆこうと考えています。

午前 O O O - O O -
午後 O O O - O O -

午前9:00~12:30

午後14:00~17:00

休診日:木・日・祝

  • 10月21 日 土曜日

    11月18日 土曜日

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